


![]() |
![]() |
1968年3月20日生まれ。 土佐高校から慶應義塾大学に進学、卒業後は西洋環境開発に入社。 1993年に退職後、宮地電機株式会社に入社。 2009年、代表取締役に就任。 1995年~2008年まで高知青年会議所に所属し、地域貢献に務める。 現在は高知からJFL入りを目指すサッカーチーム「アイゴッソ高知」の 代表兼事務局なども務め、公私ともに多忙を極める。 |

![]() |
![]() |
1991年に開設された「LaVita開設準備室」には、当初から貴嗣氏の姿があった。社外取締役という立場から、新しい事業について積極的に意見を出した。会社を継ぐと決め、宮地電機に身を置いたのは1993年3月のこと。LaVitaオープンまで2ヵ月に迫っていた。当初、貴嗣氏が最も力を注いだのがウエディング。「自分がやりたい結婚式を具現化した」と、新しいスタイルを提案した。高知では、招待客300名前後の大宴が当たり前の時代、席数150のホールが支持を得るには時間がかかった。それでも、お祝いに来てくださったお客様一人ひとりにお礼が言える披露宴の魅力を訥々と語り、心あたたまるウェディングは次第に定着していった。高知に新風を吹き込んだ「ラ・ヴィータ」は、市場の動向を見ながら少しずつ変化してきた。開店当初、雑貨店として女性たちの人気を集めた1階は、その後ジュエリー店に変更したが、購入の頻度が低く来店客数の低下を招くとしてテコ入れ。当時、生活文化事業部だった貴嗣氏の発案により「もっと人が集まる場所にしたい」と2002年にカフェをオープンさせた。その後、社長を支える副社長のポストに就き、照明器具を製造・プロデュースする「ラ・ヴィータ株式会社」の社長に就任。電材設備卸業をはじめとする会社全体の事業に携わるようになり、「わからないこともたくさんあった。でも、そうは言っていられない。猛勉強をしました」と貴嗣氏。それと同時に、「社員の幸せ」について考えるようになったと言う。 |
![]() |
![]() |
2009年に社長に就任。創業時から企業理念として掲げてきた「宮地電機精神」を心に持ちつつも、社員一人ひとりが行動に移せるわかりやすい言葉を「私たちの信条」として提示した。1.お客様のために 2.社員のために 3.社会のために。現在、朝礼はこの3つについて社員一人ひとりが何をしたいか、どう行動するかを考える場となっている。 |


長男として生まれたが、「会社を継ぐ」というプレッシャーを課せられることなく育ってきた宮地社長。大学を卒業し、不動産デベロッパーの仕事に就いた。「リゾートホテルや大規模な商業施設の開発など、十分にやりがいのある仕事で、いろいろな貴重な経験をさせていただきました」と振り返る。やがてバブルが崩壊し、不動産業界は一気に下降。方向転換を考える時期に、1992年11月に宮地電機の創業者である祖父・恒治氏が亡くなったことが会社のこれからについて考えるきっかけの一つになったと言う。父である前社長の彌典氏からは特に命はなかったものの、会社の重責を担う幹部役員から「ぜひ帰って会社を一緒に盛り立ててほしい」と言われ、会社を継ぐ決意をした。時はまさに、彌典氏が渾身の思いを込めた新しい商業施設、「LaVita(ラ・ヴィータ)」の開店に向け、会社が大きな変化を遂げる時でもあった。


一年のうち、80日~100日は出張で家を空けるという貴嗣氏。家族と過ごす時間はあるのだろうか?「学校行事にも行かれるし、勉強も見てあげているんですよ」とこれも女子社員の弁。3人のお子様のパパでもある貴嗣氏。「上2人はクラブの送り迎えをよくします。下の子も学業が忙しくなってきましたが、中学に入るまではよく2人で遊びに出かけました」と貴嗣氏。大月町に泊まりで出かけ、バーベキューやシュノーケリングを楽しんだという。「エコール・ド・須崎」という長距離サイクリングレースにも出場し、過酷なレースの辛さを2人で分け合った。「家族サービス」という気負いはなく、あくまでも自然体で家族と向き合うお父さんだ。


貴嗣氏が中学生の頃から情熱を傾けてきたのがサッカー。もはやライフワークとなり、社会人になってもプレーを続けていたが、最近は一線を退き地元のサッカーチームの応援団長を引き受ける。JFL入りを目指すサッカーチーム「アイゴッソ高知」の代表兼事務局を務め、期待を込めて力強く旗を振る。そして、もう一つの趣味がカラオケ。自他ともに認める「マイクを離さない」達人で、と往年の歌謡曲を朗々と歌い上げる。お酒も好きだが、そこは「明日の仕事に響かない量」と決めている。ストレス発散、パワー充電の手法を身につけた大人の男である。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

2014年2月 現在 【取材・編集】菅野 乃美 【デザイン・制作】仁平 由美 【写真撮影】藤岡 武洋、仁平 由美